ガムシャラ密着をみると、毎回泣いてる。涙が止まらなくなるので、必ず1人のときにみるようにしている。


例にも漏れず、今回も泣いた。自担がかっこいいとかかわいいとか、そういうはなしをしたいのにそれ以上に恐らくわたしは各チームおよびパフォーマンスバトルを愛しすぎている。

「ジャニーズJr.みたいだな」そうおもった。

みんなそれぞれほんとに一生懸命がんばってるし、そんなことはファンも本人も分かっているだろうに、選ばれたひとしかデビュー出来ないJr.の状況。各チームそれぞれが工夫や努力を一生懸命やってるのに、上位3チームしか決勝に行けない、そして1チームしか優勝できない状況。わたしには重なっておもえた。


別に、これだけに限ったことではない。世の中にはこんなこと、ザラにある。勉強をがんばったひと全員が第一志望に合格するわけではないし、野球をがんばったひと全員が甲子園に行けるわけではない。そんなことは分かっている。分かっていても、やっぱり泣く。


結果がすべてではない。彼らに対して、このことばをかけるのはある意味いちばん残酷だとおもう。たしかに結果がすべてではない。甲子園には行けなかったが、予選でスカウトマンの目に止まりプロに行ったひともいる。オーディションには落ちたが、その敗因を分析し次のものに生かすひともいる。第一志望には行けなかったが、行った学校でたのしく過ごすひともいる。結果がすべてではない、そこからなにを吸収できたかだ。

そんな至極全うなことばも彼らをまえにするとどうしてこんなに薄っぺらく感じるのだろう。

そんなにがんばらなくてもいいよ、そう言いたくなる。選ばれなかったときの悲しさや悔しさはがんばった分に比例する。勇太くんが泣くのは、見たくない。けど、そんなの自分勝手だ。みんな勝ちたい。だからがんばる。そこにはじめから「負けたら」なんて、ない。

正直に言う。萩谷くんのソロ、ずるいなあっておもった。そんなのギターの種目があって、勇太くんがソロをやるみたいなかんじだ。特技の延長上。ずるいなあっておもってしまった。けど、ちがう。みんな勝ちたいんだ、者は勝ちにいくために萩谷くんのソロパフォーマンスが必要だと判断した、だからやる。そうみえた。

大事な大事な夏を懸けてきている。彼らの二度とない2015年の夏を懸けてきている。じぶんが精一杯がんばったといえるパフォーマンスをしてほしい。大事な大事な人生を懸けてきている。もし、デビューという基準に選ばれずに去ることになっても、じぶんが精一杯やり遂げたといえるJr.人生をおくってほしい。みんなが、あまりにも眩しくてわたしはそっと息をはいた。